【要約】“中国を黙らせる” 尖閣オランダ新資料発見!【門田隆将チャンネル#0192】

INDEX(目次)
“中国を黙らせる” 尖閣オランダ新資料発見!
『門田隆将チャンネル#0192』を要約
尖閣新資料発見「中国を黙らせる歴史」
・門田氏は、月刊誌『正論』で掲載された**「中国を黙らせる歴史」という対談記事について紹介した
・対談相手は、長崎純心大学の石井望准教授で、テーマは尖閣諸島に関する新たな歴史資料の発見である
・石井氏は、江戸時代のオランダ商館日記を詳細に分析し、1660年時点でオランダ側が現在の尖閣諸島を日本の統治下にある島として認識していたことを明らかにした
・この発見は、尖閣をめぐる中国側の主張に対し、第三国であるオランダの記録から日本領であったことを示す重要な資料だと説明された
・門田氏は、自身のノンフィクション作品『尖閣1945』の中で、尖閣がかつて鳥島と呼ばれていたことを記述しており、それがきっかけで石井氏から連絡を受けたという
・石井氏は、江戸時代の資料に出てくる鳥島**が現在の尖閣諸島であることを分析し、その成果を門田氏との対談という形で発表した
・門田氏は、この発見は日本国民全員が知るべき内容だとして、『正論』に対談企画を依頼したと述べた
1660年のオランダ船遭難と「鳥島」の記録
・問題となる資料は、1660年にオランダ船ハープ号が遭難した際の記録である
・当時、台湾はまだオランダ統治下にあり、その後1662年に鄭成功がオランダを駆逐して台湾を支配することになる
・ハープ号は、台湾西岸側が鄭成功との戦闘で危険になっていたため、台湾東岸を北上して長崎方面へ向かおうとしていた
・その航行中に嵐などで方向を失い、現在の尖閣諸島にあたる鳥島へ漂着・遭難したとされる
・石井氏の分析では、資料に記された漂着地は台湾島最北端の東方に位置しており、その条件に合う島は尖閣諸島以外に存在しないという
・そのため、オランダ商館日記に出てくる鳥島は、現在の尖閣諸島を指すと結論づけられる
・門田氏は、尖閣という名称は19世紀末に土佐出身の黒岩恒が、尖った岩の姿から名付けたもので、それ以前は鳥島と呼ばれていたと説明した
・鳥島という名称は、同地に多くのアホウドリが集まり、羽毛や鰹節などを得るために利用されていた歴史に由来するとされた
薩摩への感謝状が示す「日本の統治」
・オランダ商館日記には、1660年9月16日の記録として、オランダ側が薩摩に深く感謝し、薩摩藩の長崎駐在員を通じて感謝状を送ったことが記されている
・この記述は、遭難したオランダ船の乗員や荷物を、当時の日本側が救助・保護し、長崎へ送り届けたことを示すものとされる
・門田氏は、この記録が重要なのは、オランダ側が鳥島を琉球に属し、日本が統治している島として扱っていた点だと強調した
・当時、薩摩藩はすでに琉球王国を支配下に置いており、尖閣周辺にも薩摩・琉球側の関与があった可能性がある
・石井氏は、尖閣諸島に当時先守りのような人員が置かれていた可能性を指摘している
・鄭成功とオランダが戦っていた時代背景を考えると、日本側も外国船の動向を警戒し、海域監視を行っていた可能性があるという
・遭難したオランダ船を助け、荷物や乗員を長崎へ届けた対応について、門田氏は、江戸時代の日本人の誠実さを示すものだと述べた
・この一連の記録により、1660年時点で尖閣諸島が中国とは無関係に、日本側の管理・統治のもとにあったことが浮かび上がるとした
中国の主張と無関係な第三国資料の重み
・門田氏は、今回の資料の最大のポイントは、中国側の文献ではなく、オランダと日本の間の記録であることだと強調した
・中国は尖閣領有を主張しているが、今回の資料は、中国が関与しない第三国の記録として、尖閣が日本側の領域として認識されていたことを示すものだとされた
・江戸時代の東シナ海では、琉球の人々が高度な航海技術を持ち、海域を往来していた一方、中国側は沿岸部を中心とした活動に限られていたと説明した
・中国の冊封使が琉球へ渡る際にも、琉球側が迎えに行かなければ航海が困難だったという記録があり、当時の東シナ海航行における琉球の役割が大きかったとされた
・琉球の人々は、航路上の目印として鳥島を認識しており、中国側の文献にもその存在が記録されている
・しかし、今回の新資料は中国文献ではなく、オランダ商館日記に基づくものであるため、中国側が反論しにくい性格を持つと門田氏は述べた
・門田氏は、尖閣についてはそもそも領土問題は存在しないとし、中国には正当な領有の根拠がないと主張した
・戦後、アメリカが尖閣の一部を射爆場として使用していた時期に中国が抗議していなかったことや、中国の教科書に尖閣が日本領として扱われていた点も、中国側主張の弱さを示すものだとした
「尖閣1660」が示す日本領有の歴史的根拠
・門田氏は、今回の発見を「尖閣1660」とも言える重要な歴史資料だと位置づけた
・1660年という江戸時代の段階で、オランダが尖閣を日本側の統治下にある島と認識し、薩摩へ感謝状を送っていたことは、尖閣の日本領有を示す強い根拠になるとした
・この資料は、中国の主張とは無関係な第三国の記録であるため、尖閣をめぐる歴史認識において大きな意味を持つと説明された
・門田氏は、尖閣問題に関して「領土問題は存在しない」という立場を改めて示しつつ、今回の発見によって日本の領有の歴史的根拠がさらに明確になったと述べた
・『正論』がこのテーマを大きく取り上げたことについて、門田氏は多くの人に読んでほしい内容だと紹介した
・尖閣諸島をめぐる議論において、江戸時代のオランダ商館日記**という一次資料が持つ意味は大きく、中国側の主張を退ける材料になると締めくくった
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