1800年(寛政12年)のこの日、伊能忠敬(1745~1818年)が蝦夷地の測量に江戸を出発。この日にちなんで、「地図の日(最初の一歩の日)」が記念日とされています。

伊能大図彩色図 NO.90「相模・相模野・下總・武蔵・江戸」の一部分
商人なのに「名字帯刀」
1762年に酒造家の伊能家に婿入りして名主となります。その伊能家は酒や醤油の醸造、貸金業、利根水運などに関わり、村の中でも大きな力を持っていましたが、当主不在の期間が長く事業を縮小していました。そこで忠敬は家の再興に手腕を発揮した結果、名字帯刀を許可されて、村方後見役を命じられるほど回復します。
1794年に伊能家の再興を果たした忠敬は、家督を長男・景敬(かげたか)に譲り、暦学を学ぶための準備を始めたのです。
翌年50歳になった忠敬は、江戸の幕府暦局(暦を作成する天文学機関)にむかい、暦局の第一人者である19歳年下の天文学者・高橋至時(たかはしよしとき)に異例の弟子入りを果たします。