3月14日 – 今日は何の日?

- 今日の名言
- Everybody has talent, but ability takes hard work. 誰もが才能を持っているが、能力を発揮するには努力が必要だ。 Michael Jordan - マイケル・ジョーダン
ピックアップ TODAY!
日本で最初の『国際結婚』は?
1872年に英国で行われた長州藩のイギリス留学生・南貞助とイギリス人女性ライザ・ピットマンとの結婚が翌1873年6月3日に日本政府太政官に許可されたことで、これが日本における法律上の国際結婚第一号とされています。
「国際結婚」数の推移
日本における婚姻総数は1970年代前半に100万件を越えたものの、それ以降右肩下がりの傾向を見せ、2017年においては、約60万件とここ50年で最も低い数値になっています。
一方で、国際結婚数は1980年代に一気に増加し、年間1万件以下だったのが、1990年代に入ると2万件を超えるようになりました。一方で、2000年代以降をみると、年によって数値が大きく乱高下してることがわかります。
国際結婚数のグラフを見ると、不自然なほど数値が上下しています。国際結婚数が5万件に届かないほどの数値にも関わらず、数値は毎年数千単位で変化しています。

「国際結婚」の裏側は?
国際結婚における日本人、外国人の男女の組合せ別の婚姻数をグラフ化した図を見ると不自然な傾向が分かります。
このグラフの曲線から夫が日本人、妻が外国人の国際結婚(青線)は、1980年以降、値が上下に大きく変化していることに対し妻が日本人、夫が外国人の国際結婚(赤線)はこの50年間比較的なだらかに変化しています。
「アジアの花嫁」問題
値が特に大きく変化している2000年前後や2005年前後に何があったのでしょうか?
2000年には、国連で「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」が採択され、人身取引の規制が国際的にも強化されました。 そして、2005年には、日本で、人身売買罪の創設等を内容とする「刑法等の一部改正案」(含む入管法改正)が施行されているのです。
これらの規制の背景の一部には、結婚仲介業者を介してアジアなどの貧困地域から日本に嫁いで来る「アジアの花嫁」という問題があります。
女性たちは、貧困に苦しむ家族を救うため、あるいは自分の生活を変えるために、日本のお金を持っている男性の元へと嫁いで来ます。場合によっては、家族によってはお金で売られ、母国語しか話せず事情も分からないまま日本へ来るという女性もいるそうです。
結婚仲介業者を介する結婚においては、男性側が仲介業者に手数料や花嫁資金などを支払うことで取引が成立するということで、これは人身取引となります。
2010年代後半になると、数値の異常な高さが少しずつ低くなりつつあります。様々な規制によって結婚による人身取引が少しずつ解消されているとしたら、それは良い傾向です。
記念日・行事・お祭り
今日の誕生日
- 1863年 – 徳富蘇峰、評論家、徳富蘆花の兄(+ 1957年逝去)
- 1879年 – アルベルト・アインシュタイン、物理学者(1955年逝去)
- 1917年 – 芦田伸介、俳優(1999年逝去)
- 1924年 – 赤木春恵、女優(2018年逝去)
- 1924年 – 南利明、喜劇俳優(1995年逝去)
- 1933年 – クインシー・ジョーンズ、音楽プロデューサー
- 1936年 – ジム・クラーク、レーサー(1968年逝去)
- 1939年 – 中沢啓治、漫画家(2012年逝去)
- 1945年 – 栗原小巻、女優
- 1948年 – 五木ひろし、演歌歌手
- 1950年 – 安部俊幸、ギタリスト(チューリップ)(2014年逝去)
- 1954年 – 杉真理、ミュージシャン
- 1959年 – 竹井みどり、女優
- 1961年 – ヒロ松下、実業家、元レーシングドライバー
- 1969年 – 山口智充、お笑いタレント(DonDokoDon)
- 1970年 – 姿月あさと、女優、元宝塚歌劇団宙組初代トップスター。
- 1973年 – 隈部洋平、俳優
- 1976年 – 浜田学、俳優
- 1978年 – ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド、水泳選手
- 1979年 – 渋井陽子、陸上競技選手
- 1980年 – 青木崇高、俳優
- 1988年 – 出口陽、歌手、元アイドル(元SKE48)
- 1990年 – 黒木華、女優
- 1991年 – 酒井高徳、サッカー選手
- 1991年 – 池田ショコラ、グラビアモデル
- 1994年 – 渡辺佑太朗、俳優