2月22日 – 今日は何の日?
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●今も韓国の不法占拠が続いている竹島は日本固有の領土
竹島問題とは
日本・韓国の間の竹島をめぐる対立「竹島問題」は、第2次世界大戦後に始まりました。
戦争が集結し、1951年(昭和26年)9月8日にサンフランシスコ平和条約が結ばれました。平和条約では、日本による朝鮮の独立承認と済州島(さいしゅうとう)、巨文島(きょぶんとう)および鬱陵島(うつりょうとう)を含む朝鮮の放棄が規定されました。
ところが、この条約の効力が発生する3か月前の1952年(昭和27年)1月18日、韓国の李承晩(りしょうばん)大統領は、突然「李承晩ライン」(海洋主権宣言)を宣言して竹島をライン内に取り込みました。
日本政府はただちに抗議し、島根県は竹島に標柱(ひょうちゅう)を建てました。
しかし、韓国は、1953年(昭和28年)に竹島で日本の巡視船に向けて発砲したり、1954年(昭和29年)には海洋警察隊を派遣するなどして、竹島を占拠し、現在も韓国による不法占拠が続いています。
サンフランシスコ平和条約における竹島
1951年(昭和26年)8月10日、アメリカが最終決定として韓国へ回答した文書は当時のアメリカ国務次官補ディーン・ラスクから送られたことから「ラスク書簡」と呼ばれています。
韓国側の「日本が放棄する島に竹島を加えてほしい」と願い出たことに対して、
アメリカは、ラスク書簡で「竹島は、1905年(明治38年)ごろから島根県隠岐支庁の管轄下にあり、これまで朝鮮領土として扱われたことがなく、領土主張がなされたとも思わない。」と回答し、韓国の要求を拒否しました。
不法占拠による問題
(1)竹島やその周辺12海里(約22キロメートル)に行けない
韓国は竹島に武装要員を置き、一方的に灯台、宿舎、埠頭(ふとう)などを建設し、定期船を運航して観光客を上陸させるなど、不法占拠を進めています。このため、日本漁船は竹島やその周辺12海里には近づくことができません。
(2)漁業が自由にできない
日本と韓国の漁業問題については、1965年(昭和40年)に日韓漁業協定が締結され、これにより李承晩ラインが撤廃されることになりました。
その後、1999年(平成11年)に新たな日韓漁業協定が締結され、竹島周辺海域に「暫定水域」を設定し、その中では両国の漁船が漁業できることとしました。この水域は、暖流と寒流が交わる潮目があり、堆(たい:魚介類が多く良い漁場)もあり水産資源が豊富な場所です。
しかしながら、暫定水域内では韓国漁船による乱獲(らんかく)や、ルール違反の操業(そうぎょう)で日本漁船はトラブルに見舞われることがあり、日本の漁船はほとんど漁ができないのが現状です。
国の主な取り組み
竹島領有権問題に関して、これまで日本政府は4度、国際司法裁判所 (ICJ) への付託を韓国側に提案してきたが、いずれも韓国は「日韓に領土問題は存在しない」と拒否し続けている。
●内閣官房
2012年(平成24年)、初めて政府に領土問題担当大臣が置かれたことをきっかけとして、翌年の2013年(平成25年)2月、内閣官房に「領土・主権対策企画調整室」を設置。
2018年(平成30年)には、北方領土・竹島及び尖閣諸島が我が国固有の領土であることを示す歴史的資料や人々の営みを示す資料をまとめて紹介する国の施設「領土・主権展示館」が東京都内に開館。
●外務省
民間研究機関による調査研究などの取り組み支援や、国際社会への情報発信を強化。
●文部科学省
2017年(平成29年)3月31日、文部科学省は小学校・中学校の「新学習指導要領」で竹島を「我が国固有の領土」と明記し、公示。さらに、2018年(平成30年)3月31日には、高等学校の「新学習指導要領」が公示、特別支援学校についても同様に公示が行われている。
日本人に対する広報や教育は、ようやく腰を上げた状態となったが、まだまだ世界に向けての発信が足りない。
1965年の日韓基本条約締結で障害の一つであった竹島問題を棚上げにした「竹島密約(実際にあったかどうかは今後の歴史研究に委ねられる)」も問題が長く解決しない一つの要因でもある。
竹島密約は「解決せざるをもって、解決したとみなす。従って、条約では触れない」という2文を中心に、
1.独島(竹島)は今後、韓日両国ともに自国の領土と主張することを認め、同時にこれに反論することに異議を提起しない。
2.将来、漁業区域を設定する場合、両国が独島(竹島)を自国領土とする線を画定し、2線が重複する部分は共同水域とする。
3.現在韓国が占拠した現状を維持する。 しかし警備員を増強したり新しい施設の建築や増築はしない。
4.両国はこの合意をずっと守っていく。
という4つの付属条項を付けていたとしている。
この密約すら守られていない現状とまだまだ弱い世界への広報活動、日本政府の強い姿勢が今後もさらに必要となってきている。
記念日・行事・お祭り
歴史上の出来事
- 2009年(平成和21年)
- 『おくりびと』がアカデミー外国語映画賞を、「つみきのいえ」がアカデミー短編アニメ賞を受賞。
- 2006年(平成18年)
- 宇宙航空研究開発機構が赤外線天文衛星「あかり」を打上げ。
- 1993年(平成5年)
- 中学校での業者模擬テスト実施の禁止を文部省が通達
- 1989年(平成元年)
- 佐賀県の吉野ヶ里遺跡で弥生時代後期の国内最大規模の環濠集落を発見。
- 1965年(昭和40年)
- 北炭夕張炭鉱第一砿でガス爆発が起こり、61人が死亡。
- 1912年(明治45年)する
- 未成年者飲酒取締法公布。
今日の誕生日
- 1732年 – ジョージ・ワシントン、初代アメリカ合衆国大統領(1799年)
- 1788年 – アルトゥル・ショーペンハウアー、哲学者(1860年逝去)
- 1796年 – アドルフ・ケトレー、数学者、社会学者、統計学者(1874年逝去)
- 1810年 – フレデリック・ショパン、作曲家(1849年逝去)
- 1857年 – ハインリヒ・ヘルツ、物理学者(1894年逝去)
- 1863年 – 坪井正五郎、自然人類学者(1913年逝去)
- 1864年 – ジュール・ルナール、小説家、劇作家(1910年逝去)
- 1874年 – 高浜虚子、俳人(1959年逝去)
- 1881年 – 浜田耕作、考古学者(1938年逝去)
- 1884年 – 三浦環、オペラ歌手(1946年逝去)
- 1902年 – ヘルマ・サボー、フィギュアスケート選手(1986年逝去)
- 1914年 – レナート・ドゥルベッコ、ウイルス学者(2012年逝去)
- 1930年 – マーニ・ニクソン、オペラ歌手(2016年逝去)
- 1932年 – 谷啓、俳優、コメディアン、トロンボーン奏者( 2010年逝去)
- 1934年 – 財津一郎、俳優
- 1935年 – 大藪春彦、小説家(1996年逝去)
- 1936年 – J・マイケル・ビショップ、免疫学者
- 1936年 – 沢田教一、写真家(1970年逝去)
- 1942年 – 中村忠、空手家
- 1942年 – 加納典明、写真家
- 1944年 – ジョナサン・デミ、映画監督(2017年逝去)
- 1948年 – 都はるみ、歌手
- 1949年 – ニキ・ラウダ、レーシングドライバー (2019年逝去)
- 1950年 – 日高富明、歌手(元ガロ)(1986年逝去)
- 1951年 – 売野雅勇、作詞家
- 1952年 – イッセー尾形、俳優
- 1954年 – うえやまとち、漫画家
- 1961年 – 高崎晃、ミュージシャン
- 1962年 – スティーブ・アーウィン、タレント、動物園経営者(2006年逝去)
- 1966年 – 椎名桜子、小説家、写真家
- 1967年 – 飯塚昌明、作曲家、ギタリスト
- 1968年 – 佐々木主浩、元プロ野球選手
- 1968年 – 染谷俊、シンガーソングライター、ミュージシャン
- 1969年 – 鈴木早智子、女優(元Wink)
- 1969年 – 渡瀬マキ、ミュージシャン(元リンドバーグ)
- 1972年 – マイケル・チャン、元テニス選手
- 1974年 – 陣内智則、お笑いタレント
- 1976年 – 堂島孝平、シンガーソングライター
- 1976年 – フィフィ、タレント
- 1980年 – 克哉、ミュージシャン(UVERworld)
- 1982年 – 狩野英孝、お笑いタレント
- 1984年 – 柴田あゆみ、歌手(元メロン記念日)
- 1984年 – 佐藤祐基、俳優
- 1994年 – ナム・ジュヒョク、俳優
- 2001年 – 横山玲奈、歌手(モーニング娘。)