1月21日 – 今日は何の日?
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平尾誠二の魂は日本ラグビーの新たな最高峰「リーグワン」に生きる!
日本ラグビーの新たな最高峰「リーグワン」が1月8日に産声を上げた。2003年に発足した「トップリーグ」を発展的に解消し、海外のスター選手も巻き込んで世界を目指す日本ラグビーの底上げを図るという。
しかし、そこにはラクビーの普及に尽力した平尾誠二の姿はなかった。さらに、2019年に日本で初めて開催され、大成功を収めたワールドカップにも立ち会うことなしに、病魔と闘い3年前にこの世を去ってしまった。
日本代表は数々の強豪チームと互角に闘い、決勝トーナメントへ進出、準々決勝の南アフリカ戦で快進撃こそ止まったが、ラグビーの楽しさ、魅力を多くのラグビー知らずの日本人に十分に伝えることができた。
そして、日本のラクビーをここまで高めることができたのは、ミスター・ラクビーと呼ばれた平尾誠二がラクビー界に革命を起こしたからである。
昭和38年1月21日、京都に生まれた平尾誠二は、中学入学と同時にラグビーを始め、伏見工業高校3年の時、全国制覇を成し遂げ、さらに同志社大学に進むと19歳4か月で日本代表に選ばれるなど並々ならぬ才能を発揮。昭和60年大学ラグビー選手権で史上初の3連覇を達成。
誰もが社会人チームに進むと思われたが、平尾は意外な選択をする。ラグビー発祥の地イングランドへの留学である。イギリスを選んだ理由には、以前より望んでいたデザインの勉強ができることだけでなく、自分のラグビーのレベルが世界ではどの程度か知りたいと考えたこともあったという。そのイギリス留学で平尾は、スポーツを楽しむという本質、形にこだわらない自由な考え方を知ることとなり、ラグビーに対する情熱に再び火を灯すこととなった。
翌年帰国すると神戸製鋼に入社し、3年目にキャプテン就任、チームの大改革にのぞみ、神戸製鋼の7連覇という偉業を達成する。そして、日本代表を率いて、今まで勝てなかったサモアやアルゼンチンに勝ったほか、99年のパシフィック・リム選手権では初優勝し、世界との距離を縮めていった。しかし、ワールドカップでの敗戦から彼が痛感したのは、プロ化によって強化が進む世界の潮流に大きく出遅れている日本の現状であった。そして社会人ラクビーのシステムを改革し、「トップリーグ」を2003年に実現させた。
「リーグワン」の誕生は、常に日本のラクビーの将来について考えていた平尾誠二の願いそのものであったに違いない。残念ながら、コロナ渦や選手の不祥事などの影響もあり、開幕から好スタートとは言えない困難な状況になっている。
しかし、平尾誠二が残したラクビー魂は、連綿と選手たちに受け継がれ、挑戦的なプレイで栄光のトライに向かうに違いない。
記念日・行事・お祭り
●ライバルが手を結ぶ日…1866年(慶応2年)のこの日、ライバル同士だった長州藩の木戸孝允、薩摩藩の西郷隆盛らが土佐の坂本龍馬らの仲介により京都で会見し、倒幕のために薩長同盟(薩長連合)を結んだことにちなむ。この薩長同盟が日本が明治維新に向かう時代の大きなターニングポイントであったことは間違いがありません。
今日の誕生日
- 1905年 - クリスチャン・ディオール、ファッションデザイナー(1957年逝去)
- 1922年 - テリー・サバラス、俳優(1994年逝去)
- 1931年 - 久我美子、女優
- 1932年 - 稲盛和夫、経営者、京セラ創業者
- 1938年 - ウルフマン・ジャック、DJ(1995年逝去)
- 1940年 - ジャック・ニクラス、プロゴルファー
- 1940年 - 竜雷太、俳優
- 1941年 - プラシド・ドミンゴ、テノール歌手
- 1942年 - エドウィン・スター、歌手(2003年逝去)
- 1943年 - 山本亘、俳優
- 1947年 - 高田純次、タレント
- 1950年 - ビリー・オーシャン、歌手
- 1954年 - 三浦洋一、俳優(2000年逝去)
- 1959年 - 京本政樹、俳優
- 1960年 - 加藤高道、歌手(狩人)
- 1963年 - 平尾誠二、元ラグビー選手、指導者(2016年逝去)
- 1967年 - 川上つよし、ミュージシャン(東京スカパラダイスオーケストラ)
- 1969年 - 猫井椿、漫画家(CLAMP)
- 1976年 - エマ・バントン、歌手
- 1980年 - 水樹奈々、声優、歌手
- 1980年 - KEIJI、ダンサー(EXILE)
- 1985年 - 山村隆太、ミュージシャン(flumpool)
- 1985年 - KENZO、ダンサー(DA PUMP)
- 1997年 - 橋本楓、タレント、元アイドル(元アイドリング!!!21号)
- 2000年 - 佐々木舞香、アイドル(=LOVE、元穂の国娘。)