7月6日 – 今日は何の日?

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「ゼロ戦の日」とは?

1939年(昭和14年)7月6日、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機の試験飛行が始まったことを記念。

名機「零式艦上戦闘機」

零式艦上戦闘機は、大日本帝国海軍のために開発された伝説的な戦闘機で、その名が示す通り昭和15年(1940年)に制式採用されました。この名機の設計は1936年に海軍が制式採用した九六式艦上戦闘機の後継機として始まり、日中戦争から太平洋戦争にかけての幅広い戦場で、その卓越した性能を見せつけました。

 

零式艦上戦闘機の特筆すべき性能としては、その驚異的な航続距離があります。なんと3,000 kmという長大な距離を飛行することができたのです。また、この機体は対爆撃機用の20ミリ機銃を2門装備しており、重武装でありながらも、空中での格闘戦を重視した運動性能がありました。

 

そして何より、この機体の設計は空力的に洗練され、軽量化が徹底的に追求されていました。この設計が1000馬力級の「栄」エンジンの性能を最大限に引き出し、一時期は零式艦上戦闘機を世界の戦闘機の頂点に立たせました。

 

しかしながら、大戦の中期以降、アメリカ陸海軍が零戦に対する戦術を確立し、新型戦闘機F4UコルセアやF6Fヘルキャットを投入すると、その優位は徐々に失われました。しかし後継機である十七試艦上戦闘機「烈風」の開発が大幅に遅れたため、終戦まで零式艦上戦闘機は日本海軍航空隊の主力戦闘機として頑張り続けました。

 

また、大戦の末期には、零式艦上戦闘機は戦闘爆撃機や特攻機としても活用されました。これらの改造は、戦局の絶望的な状況を反映していたと言えるでしょう。

 

零式艦上戦闘機の開発元は三菱重工業でしたが、中島飛行機でもライセンス生産が行われ、実際には全体の6割以上が中島製でした。これにより、生産数は一万機以上に上り、日本の戦闘機では最も多く生産された機体となりました。その多くが日本の空と海を守るために戦場へと送り出され、多くのエースパイロット達に信頼と愛された零式艦上戦闘機の存在は、今もなお日本の航空史に名を刻んでいます。

「永遠の0(えいえんのゼロ)」

永遠の0』(えいえんのゼロ)は、百田尚樹による小説で、オリコン本ランキングで史上初となる400万部を突破し、歴代13作目のミリオンヒット作となりました。またそれを原作とした漫画・映画・テレビドラマが人気を呼びました。

 

映画での主演は岡田准一。第38回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞作品となりました。

2013年12月21日から全国430スクリーンで公開され、初日2日間の観客動員数は約42万9000人、興行収入約5億4200万円。幅広い客層を集めてロングランが続き、観客動員数は700万人、累計興行収入86億円を突破、歴代の邦画実写映画で6位にランクインする大ヒットを記録し、文化通信社調べによる2014年邦画興行収入第1位を記録しました。

 

 歴史上の出来事

(Wikipediaより抜粋)

 記念日・行事・お祭り

サラダ記念日 俵万智の歌集『サラダ記念日』の中に、7月6日がサラダ記念日という歌があることから。
ピアノの日 1823年7月6日、長崎・出島オランダ商館のドイツ人医師シーボルトが日本に初めてピアノを持ち込んだことから。
ゼロ戦の日 1939年7月6日、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機の試験飛行が始まったことから。
公認会計士の日 1948年7月6日、公認会計士の制度を定める「公認会計士法」が公布されたことから。
これを記念するとともに、公認会計士法制定の基本理念の再認識と新たな躍進を期して、日本公認会計士協会が制定。
セコムの日 企業や家庭などで「安全、安心」について考え、意識を高めてもらいたいと、セコム(株)が制定。
日付は社名のセコムにちなみ、7月5日、6日を「セ(7)コ(5)ム(6)」と読む語呂合わせから。
思いやり手洗い洗車の日 七夕の前日に降る雨は「洗車雨(せんしゃう)」と呼ばれ、彦星が織姫に会いに行くために牛車を洗っている水が、空から雨として降ってくるといわれている。
彦星が大切な人のために一生懸命牛車を洗うように、他者への思いやりの心について洗車を通じて考えてもらいたいと、「洗車雨を浴びる倶楽部」が制定。日付は、洗車雨が降る七夕の前日の7月6日から。

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 本日の誕生日

7月6日には、ミヤコ蝶々(女優)、遠藤実(作曲家)、桐島洋子(ノンフィクション作家)、藤猛(ボクシング)、長塚京三(俳優)、シルベスター・スタローン(俳優)、瀬川瑛子(歌手)、とよた真帆(女優)、小倉隆史(サッカー)、井上芳雄(俳優)、石田たくみ(カミナリ)が誕生しています。(敬称:略)