6月26日 – 今日は何の日?

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「世界格闘技の日」とは?
「世界格闘技の日」は格闘技の魅力をより多くの人に知らせるため、1976年6月26日、アントニオ猪木VSモハメド・アリの異種格闘技戦が行われたことにちなんで、制定されました。
アントニオ猪木 VS モハメド・アリ
会場には1万4500人が詰めかけ、衛星中継で37カ国、14億人もの人々が視聴した、76年6月26日の日本武道館で行われた試合。きっかけは、前年にアリが「誰かオレを倒す東洋人の格闘家はいないのか!?」と公言したことでした。
猪木は、アリがクアラルンプールでのタイトルマッチのため東京を経由した際、関係者を通じて挑戦状を送りつけました。アリから要求されたファイト・マネーは約18億円。
しかしながら、猪木は「金の心配よりも一心で戦いたい」と考え、自身は「ボクシングこそ最強の格闘技」との言葉に反発したため、試合に出場することを決めました。
試合自体は、3分15秒で行われ、アリ側からは、ルールとして「ロープに触れた相手への攻撃は禁止」「立った状態でのキックは禁止」「頭突き、ひじ打ちは禁止」と厳しい条件が提示されました。
猪木は「立った状態でキックが禁止されているため、寝て蹴るしかなかった」と述べています。当時は、グラウンドでの戦いはまだ認知されておらず、観客の反応を考慮する余裕がなく、あの試合ではアリの立ち技が優位に見えたのかもしれないと振り返っています。
アリに当てたキックが64発であるのに対して、アリが放った有効なパンチはわずか3発に留まり、アリはその後、血栓症のために次のタイトルマッチで大苦戦するほどのダメージを負ってしまいました。
第6ラウンドで最大のチャンスが訪れた。アントニオ猪木が足を取りに来たアリを逆に足を持って倒し、馬乗りになった上でひじ打ちを1発、アリの額に入れた。
もし、ここでもう1発、あそこでひじ打ちを入れていたら、アリさんは立ち上がれなかったに違いない。ダウンした状態で受ける打撃のダメージは大きいため、結果的には反則負けになっていただろうが、どんな形であれ、アをぶちのめしたという事実は残るだろう。しかし、猪木さんはそうしなかった。
猪木がなぜそうしなかったのかと不思議に思うと後日述べている、あるいは神様が裁いたというか、何かが自分を止めたのかもしれない。
試合は15ラウンドまで行き着き、判定の結果は引き分けになった。この結末に、場内は騒然とした。何かが一瞬にして消えてしまった感じだった。
翌日の新聞各紙も酷評した。しかし、時が経ち、総合格闘技が普及すると、この試合に対する評価は大きく変わった。日本のプロレスラーがボクシングのヘビー級の現役王者と真剣勝負したことは、極めて大きかった。
しかも、相手は歴史に残るアリさんだった。今後も、これを超える、日本人がらみのビッグマッチは実現しないかもしれない。
アリは試合から1年後、ビバリーヒルズで行った結婚式に猪木を招待した。試合直後は「あれはお遊びだった」と負け惜しみを言っていたが、結婚式では「あんな怖い試合はなかった」と本音を漏らした。
アリに対して、猪木は友情を感じた。アリは、猪木が1995年に北朝鮮で行った試合、そして98年の猪木の引退試合にも駆けつけるほどの旧交を温めた。
猪木はアリに憧れ、彼に挑戦することで自分の夢をかなえた。彼らの友情とこの試合は、今でも多くの人に語り継がれている。
歴史上の出来事
- 1180年(治承4年6月2日) - 平清盛が安徳天皇を奉じて福原京に遷都。
- 1788年 - モーツァルトがウィーンで交響曲第39番を完成。
- 1900年 - 桂太郎が台湾協会学校(後の拓殖大学)を設立。
- 1933年 - NHK大阪放送局、NHK名古屋放送局が開局。
- 1945年 - 国際連合憲章が加盟51ヶ国により調印。
- 1945年 - 日本本土空襲: 京都市上京区の西陣にB29が空襲。死者43人、重軽傷者66人、家屋損壊292戸の被害。
- 1946年 - 首相の吉田茂が衆議院で日本国憲法9条について、「自衛権は否定はされないが、交戦権を進んで放棄する」旨説明した。
- 1950年 - レッドパージ: GHQが、日本共産党機関紙『アカハタ』の30日間の発刊停止を指令。7月18日に無期限停刊に変更。
- 1966年 - 健康・体力づくりができる野外活動として、東京都の高尾山において日本で初めてオリエンテーリングが行われる。
- 1968年 - アメリカの統治下にあった小笠原諸島が日本に返還される。
- 1974年 - 国土庁が設置される。
- 1976年 - アントニオ猪木対モハメド・アリの異種格闘技戦が行われる。
- 1983年 - 第13回参議院議員通常選挙。日本の選挙制度で初めて比例代表制を導入。
- 1987年 - 拷問等禁止条約が発効する。
- 1994年 - マイクロソフトがMS-DOSの販売中止を発表。
- 1996年 - 日本で、全文改正した民事訴訟法が公布。
- 2003年 - アメリカの合衆国最高裁判所がテキサス州の同性愛処罰法を憲法違反と判断。
- 2007年 - 時津風部屋力士暴行死事件:時津風部屋に入門した当時17歳の新弟子が稽古時間中に心肺停止状態となり、搬送先の犬山中央病院で死亡。
- 2010年 - JRグループの在来線としては史上初となる可動式ホームドアが山手線恵比寿駅で導入される。
- 2012年 - 消費税増税を柱とする社会保障と税の一体改革関連法案が衆議院本会議で採決され、民主党・国民新党・自由民主党・公明党の賛成多数で可決。
- 2017年 - プロ将棋棋士藤井聡太四段が、公式戦史上最多の29連勝を達成。
- 2020年 - 囲碁の芝野虎丸名人が、第58期十段戦五番勝負の第4局で村川大介十段に勝利し、タイトルを獲得。名人、王座と合わせて三冠を達成。20歳7カ月、プロ入りから5年9カ月での三冠達成で、史上最年少、史上最速記録を大幅に更新。
(Wikipediaより抜粋)
記念日・行事・お祭り
雷記念日 | 930年旧暦6月26日、平安京・内裏の清涼殿に落雷があり、大納言・藤原清貫が亡くなったことから。 |
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露天風呂の日 | 「露天風呂の日発祥地」として、その魅力をさらに多くの人に知らせるため、岡山県真庭市の湯原町旅館協同組合と湯原観光協会が制定。日付は「ろ(6)てん(.)ぶ(2)ろ(6)」(露天風呂)と読む語呂合わせから。 |
オリエンテーリングの日 | 1966年6月26日に東京・高尾山で地図とコンパスを使って設置ポイントを通過しながら所要時間を競う、日本初のオリエンテーリングが行われたことを記念。 |
国連憲章調印記念日 | 1945年6月26日にアメリカのサンフランシスコにおいて「国際連合憲章」が調印されたことから。これが発効し、国連が発足したのは同年10月24日(国連デー)です。 |
国際薬物乱用・不正取引防止デー | 薬物の乱用および違法取引の撲滅を目的に、国連総会で制定(国際デー)。1987年6月26日にウィーンで開催された薬物乱用・不正取引防止に関する国際会議で「薬物乱用統制における将来の包括的多面性アウトライン」が採択されたことから。 |
拷問の犠牲者を支援する国際デー | 日付は、1987年6月26日に「拷問等禁止条約」が発効したことを記念して。 拷問の撲滅とその犠牲者支援を目的として、国連総会で制定(国際デー)。 |
世界格闘技の日 | 現在の総合格闘技の礎となった日を思い、総合格闘技の魅力をより多くの人に知ってもらうため、アントニオ猪木とモハメド・アリが制定。1976年6月26日に格闘技史上の伝説となった「アントニオ猪木 VS モハメド・アリ 格闘技世界一決定戦」が行われたことから。 |
本日の誕生日
6月26日には、パール・バック(小説家)、中松義郎/ドクター中松(発明家)、ジェリー藤尾(歌手)、具志堅用高(ボクシング)、トミ・マキネン(レーシングドライバー)、甲本雅裕(俳優)、デレク・ジーター(プロ野球)、道端カレン(モデル)、豊ノ島大樹/井筒親方(大相撲)、明日海りお(女優)、アリアナ・グランデ(歌手)、りんごちゃん(ものまねタレント)が誕生しています。(敬称:略)