2月19日 – 今日は何の日?

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●地動説とコペルニクス的転回…1473年のこの日は、ポーランドの天文学者で「地動説」を提唱したニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus、1473~1543年)の誕生日。

コペルニクスは聖職者にして天文学者、同時に医者であったが、その生きていた時代は、誰もが地球は宇宙の中心にあって動かず、太陽をふくめて天体はすべて地球の周りを回っているという天動説を信じていました。コペルニクスは天体観測を重ねることによって、太陽は万物の中心なって動かず、地球はそれ自身一つの天体であって太陽の廻りを年に1度の周期で回転しており、しかも1日に1回、自転を行っていると地動説を主張しました。
コペルニクスは、膨大な観測データをもとに詳細な地動説に関する論考を書いていましたが、聖職者として地動説を発表すれば、カトリック教会に対する反逆になることを十分自覚し、公表することは控えていました。
1540年に弟子入りいたゲオルク・レティクス教授が『最初の報告』との名で、コペルニクスの理論の要約を広めるとともに、完成版の出版を予告しました。コペルニクス著作『天球の回転について』の校正刷りは、脳卒中で倒れ、半身不随になった彼の枕元に届いたのは1543年5月24日、それはコペルニクスが70年の人生に幕を下ろした当日でした。
コペルニクスの学説は、太陽を中心とした地球を含む惑星の回転論、さらに地球の自転、月の公転などの運行の法則などについて詳しく述べていますが、その裏付けとなる当時の観測技術は簡単なもので、望遠鏡が存在しない時代であるために不備な部分が多く、プロテスタントから反発が上がったほどだったが、あまりに新規な説であったのでそれを理解できる人がおらず、カトリックの教皇庁からも無視の状態が続きました。
コペルニクスの死後、ジョルダーノ・ブルーノやガリレオ・ガリレイによって、観測と理論化が深められるに従い、教皇庁も異端的な思想であるとして警戒するようになり、その結果、1600年にはブルーノは捕らえられて火刑となり、1616年には初の宗教裁判が行われ、ガリレイは自説の発表と教授を禁止され、コペルニクスの著作もローマ教皇の禁書目録に登録されてしまいます。
ガリレオは、当時オランダで望遠鏡が発明されたという情報を耳にして、望遠鏡を自ら製作し天体を観測。そのときに「月に凸凹がある」「木星の周りを回る4つの衛星」「金星の満ち欠け」などを発見、これらの発見をもとに、ガリレオは地動説が正しいと提唱したのです。
そして、聖書に書いてあることは、キリスト教の教えそのものではないと割り切り、自己の研究を続け、1632年には『天文対話』を発表しました。その書は天動説と地動説に立つ二人の学者の対話を通じて、天動説を批判し、地動説の正しさをわかりやすく論証したもので、かつ教会側に配慮した形式でした。
それでも、ガリレオは1616年の裁判の決定を守っていないとして、翌年、ローマで再び宗教裁判にかけられることとなり、有罪判決を受けてしまい、軟禁などの社会的制約がある状態での生活を余儀なくされました。ただ後年、その正しさが明らかになったこともあり、1960年代に入ってからローマ教皇庁が裁判の見直しに着手。ガリレオの死後約350年経ったのちに無罪が確定しました。
地動説が確立する過程は宗教家(キリスト教)に対する科学者の勇壮な闘いというストーリーで語られることが多いですが、これは19世紀以降に作られたストーリーであり、事実とは異なるとのこと。聖書の解釈と地球が動くかどうかという問題は関係していましたが、地球中心説がカトリックの教義であったことはなかったとのことです。
さて、コペルニクスの名を用い、18世紀ドイツの哲学者・カントが作ったのが「コペルニクス的転回」という表現があります。これは、
①常識を覆すような考え方のこと
②認識が対象に依存するのではなく、対象が認識に依存する
を意味しますが、コペルニクスは天動説の時代の常識に惑わされずに地動説を唱え、科学の世界に大きな変化をもたらしました。
そして、ガリレオも自分で仮説を立て、そして実験・検証するということを常に行い、あくまで「自分で確かめる」ことにこだわり続けていました。
科学の入り口に先鞭をつけた偉大な科学者の存在、彼らの生き様がなければ、現在の科学の存在、進歩もなかったということです。
天動説と地動説の解説映像をどうぞ!
(誕生日星座のヒミツがわかりますよ)
記念日・行事・お祭り
今日の誕生日
- 1473年 – ニコラウス・コペルニクス、天文学者(1543年逝去)
- 1859年 – スヴァンテ・アレニウス、化学者(1927年逝去)
- 1902年 – 鶴田知也、小説家(1988年逝去)
- 1929年 – 粟津潔、グラフィックデザイナー(2009年逝去)
- 1934年 – 吉岡治、作詞家(2010年逝去)
- 1937年 – 杉本清、アナウンサー、競馬ジャーナリスト
- 1940年 – スモーキー・ロビンソン、ミュージシャン
- 1941年 – デイビッド・グロス、物理学者
- 1941年 – 小川真司、俳優、声優(2015年逝去)
- 1942年 – ドリー・ファンク・ジュニア、プロレスラー
- 1942年 – ハワード・ストリンガー、ソニー代表取締役会長兼CEO
- 1946年 – 藤岡弘、、俳優
- 1948年 – 財津和夫、ミュージシャン
- 1948年 – トニー・アイオミ、ミュージシャン(ブラック・サバス)
- 1949年 – 益子修[1]、三菱自動車工業代表取締役社長(2020年逝去)
- 1950年 – 貴ノ花健士、元大相撲力士、二子山親方(2005年逝去)
- 1951年 – アラン・メリル、ミュージシャン
- 1952年 – 村上龍、作家
- 1952年 – 笑福亭松鶴 (7代目)、落語家(1996年逝去)
- 1956年 – 如月小春、劇作家、演出家(2000年逝去)
- 1956年 – ロデリック・マキノン、分子生物学者
- 1957年 – ファルコ、ミュージシャン(1998年年逝去)
- 1962年 – 越智一裕、アニメーター、漫画家
- 1962年 – ハナ・マンドリコワ、テニス選手
- 1964年 – 和田ラヂヲ、漫画家
- 1965年 – 岡本久美子、テニス選手
- 1966年 – 薬丸裕英、タレント
- 1969年 – かとうれいこ、タレント
- 1972年 – 大森南朋、俳優
- 1972年 – 中上雅巳、タレント
- 1974年 – 森且行、オートレース選手
- 1974年 – 貴島サリオ、歌手
- 1975年 – あべこうじ、お笑い芸人
- 1975年 – 山本高広、ものまねタレント
- 1983年 – 琴欧洲勝紀、元大相撲力士
- 1983年 – 中島美嘉、歌手
- 1988年 – 宮城舞、ファッションモデル
- 1993年 – 波多野桃子、女優、声優
- 1998年 – 平岡拓真、元俳優
- 2000年 – 今村美月、アイドル(STU48)
- 2000年 – 森戸知沙希、歌手(モーニング娘。、元カントリー・ガールズ)